top of page
Please reload

ページトップ
Page Top

戦争法」はレッテル貼り? なぜ自公の安保法を「戦争法」と呼ぶのか?

          ――― 集団的自衛権を中心に

 

1. はじめに (ざっくり まとめると・・・)

 7月の参院選が近づいてきましたが、自民・公明は、相変わらず「平和安全法制を“戦争法”と呼ぶのはレッテル貼りだ」とか、「“戦争法”批判は無責任で根拠のない言い掛かり」(『「戦争法」は大うそ・戦争を防ぐ平和安全法制』公明党機関紙局25頁)などと喧伝しています。

なぜ安保法を「戦争法」と呼ぶのか? ――  これは、さまざまな角度から論じられると思いますが、ここでは「集団的自衛権」に絞ってみたいと思います。

​自民・公明のいわゆる「平和安全法制」は、2014年7月1日の閣議決定(以下「7・1閣議決定」と略)で、集団的自衛権を行使できるようになったことに もとづいて作られたものです。

 

国連憲章は、一般に 加盟国が武力を行使することを禁じていますが、例外も認められていて、集団的自衛権は 個別的自衛権と共に その例外にあたります。

 

武力を行使するとは、武器を使って相手を攻撃すること、平たくいえば 相手を「殴りつける」ことです。

 

個別的自衛権を行使することは、いわば、先に自分を殴りつけた相手に対して「何するんだ!」と殴り返す、反撃することです。

 

一方、集団的自衛権を行使することは、仲間を殴った相手に対して「俺の仲間に何するんだ!」と相手より先に殴りつける行為です。 相手が自分を殴っていないにもかかわらず、です。 そんなことをすれば、先に殴られた相手は「何するんだ!」とこちらを殴り返してくるでしょう。 そうして、こちらと相手の殴り合いが始まる、武力攻撃の応酬が始まる、国と国との戦争が始まるのです。

この場合、自国と相手国の「殴り合い」の引きがねを引いたのは、先に攻撃をしかけた自分の国です。 つまり「戦争をしかけた」「戦争をひきおこした」のは自分の国です。 このように、集団的自衛権を行使することは「戦争をひきおこすこと」になるのです。

「戦争をしかけること」ができるようにしたのが7・1閣議決定であり、それにもとづく「平和安全法制」です。 「戦争をしかけること=戦争をひきおこすこと ができるようにした法律」とは、まさに「戦争法」と呼ぶのがふさわしいでしょう。 だから自民・公明のいわゆる「平和安全法制」は「戦争法」と呼ばれるのです。

==================================

​ここからは、項目ごとに、できる限り公的資料と識者の見解を参照しながら見ていきたいと思います。

  (以下、引用はインデント「字下げ」によって表示します。

   引用中の「・・・」は中略を意味します。)

==================================

2. 集団的自衛権とは?

まず集団的自衛権とはそもそも何なのかを確認しておきましょう。

 

「集団的自衛権」という言葉は日本国憲法にはありません。国連憲章に出てくる言葉です。つまり集団的自衛権とは国際法でつかわれる言葉、考え方です。

 

国連憲章は、国連加盟国が武力を行使することを原則として禁止しています。

​  (国連憲章・第1章・第2条・4項)

4. すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

(国際連合広報センター・国際連合憲章

  http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

 

​ただし、この禁止にはいくつかの例外が認められています。

 

一つは、国連安全保障理事会の決定にもとづく国連軍による武力の行使です。(国連憲章・第7章・第42条):

第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動

第39条

安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。

 

第41条

安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。

 

第42条

安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

(国際連合広報センター・国際連合憲章

  http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

 

​それと、国連安全保障理事会の決定が出されるまでの間、個別的自衛権 (individual self-defence) と集団的自衛権 (collective self-defence) の行使が認められています。(第7章・第51条)

第51条

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

(国際連合広報センター・国際連合憲章

  http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

​この個別的自衛権と集団的自衛権についての日本政府の規定を見てみましょう:

​国際法上、一般に、「個別的自衛権」とは、自国に対する武力攻撃を実力をもって阻止する権利をいい、他方、「集団的自衛権」とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利をいうと解されている。このように、両者は、自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるかどうかという点において、明確に区別されるものであると考えている。

(2003年7月15日衆議院議員 伊藤英成君提出 内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書)

​         ―――――――――――

個別的自衛権あるいは集団的自衛権という概念は国際法上の概念でございまして、区別するメルクマールとしては、自国に対する武力攻撃が発生しているか、そうでない場合かというところで分けているという整理でございます。目的が自国防衛であるか他国防衛であるかという、目的で分けているものではないと承知しております。

(横畠内閣法制局長官・衆院予算委員会2014年7月14日)

 

​上の内閣法制局の発言のように、日本政府の個別的自衛権と集団的自衛権の区別の仕方は、

 ・「自衛(自国防衛)のため」の実力行使が個別的自衛権の行使

 ・「他衛(他国防衛)のため」の実力行使が集団的自衛権の行使

のような「~のため」といった 実力行使 の目的による区別はしていない、ということです。

あくまでも「自国に対する武力攻撃が発生している」という事実の有無が「区別するメルクマール(指標)」だ ということです。

「武力行使」(use of force) すなわち武力を使って攻撃をする場合には、相手より先に相手を攻撃をする場合と、先に攻撃してきた相手に対して「反撃」する場合があります。

相手から先に攻撃を受けた事実があって武力行使する場合は「反撃」になり、先に攻撃を受けた事実がなくて武力行使する場合は、先に相手に攻撃をしかけること(「先攻」)になります。

相手から先に攻撃を受けた事実があるかどうかで、「反撃」か「先攻」かが明確に分かれます。

相手から先に攻撃を受けた事実があってから武力を行使する個別的自衛権の行使は、「反撃」をすることです。

 

一方、集団的自衛権を行使することは、相手から先に攻撃を受けた事実がないにもかかわらず先に相手に攻撃をしかけること(「先攻」)になります。

…他国から攻撃されたアメリカを日本が「助けるため」とよく言われますが、その他国から見れば、攻撃していない日本から先に攻撃を受けたことになり、… 他国から攻撃を受けていない日本が他国を攻めてしまう、これが集団的自衛権の本質です。

水島朝穂・早稲田大教授『ライブ講義・徹底分析!集団的自衛権』(岩波)55頁

​           ―――――――――――

​集団的自衛権とは・・・平たく言えば 自ら攻撃されてなくても 侵略国を攻撃する権利だ。 即ち憲法9条で禁止された戦力にはできても 防衛力にはできない「先制攻撃*」と「海外派兵」をすることなのである。

北郷源太郎「市ヶ谷レーダーサイト」『軍事研究』2014年7月号

 

           ―――――――――――

​集団的自衛権の行使は、他国への武力攻撃を言い訳にして、別の国に先制攻撃*を行うことを意味します。

「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」だと日本が思おうとなんだろうと、日本から攻撃を受ける国にとっては、日本の一方的な武力行使。

西原博史・早稲田大教授「なぜ私たちは安保法制に反対なのか・憲法学者16人によるリレートーク」

http://synodos.jp/politics/14555

 

           ―――――――――――

​日本国憲法との関係で極めて重要な問題は、「集団的自衛」という名目における「他衛」は、友好国を攻撃した相手国と日本との関係においては、日本からの先制攻撃*になるということである。その相手国は、日本の友好国に対しては攻撃しているが、日本自体に対しては攻撃していないわけだから、その相手国と日本との二国間関係に絞って考えれば、日本からその相手国に対して先に攻撃をすることになるわけである。

小林正弥・千葉大学教授「自衛権か、他衛権・先制攻撃権か?」

http://webronza.asahi.com/politics/articles/2014061300013.html

*筆者註: 「先制攻撃」ということばについて

上の引用の中で北郷源太郎氏、西原博史氏、小林正弥氏は、一般的・日常的な意味で 「先制攻撃*」 を使っていて、その限りで適切な使い方になっています。

ただ、水島朝穂・早稲田大教授によれば、「先制攻撃」という言葉は日常用語でもあり法律用語でもあるため、こちらが日常一般の意味で使っていても相手は法律用語として使っていて議論が かみ合わなくなる場合があるので注意が必要だ ということです。

法律論としては、集団的自衛権の行使は「先制攻撃」(これは法律用語である。)ではないが、軍事の事実論、現実論としては、集団的自衛権の行使は日本が武力攻撃を受けていないのに「敵国」を日本が「先に攻撃する」ものである。

法律用語としての「先制攻撃」と区別するために、「先に攻撃する」と表現すべきである。

・・・

「先制攻撃」という言葉は、日常用語でもあり、法律用語でもある。

安倍内閣は、野党議員が日常用語の「先制攻撃」のつもりで質問をしても、必ず法律用語としての「先制攻撃」で返してくる。

これでは永久に議論がかみ合わず、安倍内閣に逃げ道を与えることになる。

安倍内閣を追い詰めるため、必ず「先に攻撃」という言葉を使って質問をすべきである。

水島朝穂・緊急直言「『先制攻撃』と『先に攻撃』を区別せよ――参議院でのかみ合った審議のために」(2015年7月30日)

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/0730.html

 

​​

以上をふまえて、国家間の武力行使について下の図にまとめておきます:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3. 集団的自衛権と個別的自衛権が重なる範囲はない

「先に攻撃をしかけること」(=「先攻」) と「反撃」は、全く重なり合う事のない「武力行使」です。

「反撃」でもあり「先攻」でもあるような武力行使などあり得ません。

ですから個別的自衛権の行使でもあり集団的自衛権の行使でもあるような場合などあり得ません。

「個別的自衛権と集団的自衛権、これは、国際法上、我が国に対する武力行使があるかないかということにおいて明確に一線が引かれています」

(岸田外務大臣・2014年6月2日・衆院安全保障委員会外務委員会連合審査会)

  ―――――――――――

個別的自衛権か集団的自衛権かは二者択一の関係にあり、ある武力行使が個別的自衛権行使でも集団的自衛権行使でもあるということはあり得ず、両者が重なり合うことはない。

半世紀以上維持されてきた政府解釈は、個別的自衛権を「自国に対する武力攻撃を実力で阻止する権利」、集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義し、この定義は変更できないとした上で、両者は、自国に対する武力攻撃に対処するものかどうかという点で明確に区別されるとしてきた。

国連の旧ユーゴスラビア国際刑事法廷裁判長を務めた国際法学者のA・カッセーゼも、「集団的自衛権を行使する国家は、自身が攻撃国による武力攻撃の被害国であってはならず、この場合には、個別的自衛権を行使することになる」と明言している。「重なり合う」ことはないのである。

(水島朝穂「直言」【集団的自衛権行使容認 閣議決定の波紋】合憲ライン踏み越えた)

​このように集団的自衛権と個別的自衛権が重なる範囲などありません。

公明党パンフレット「戦争を防ぐ平和安全法制」にある佐藤 優氏*の発言「閣議決定は、集団的自衛権と個別的自衛権が重なる範囲を明確にしたものだ」(4頁)は誤りです。

(*筆者註: 佐藤 優氏の公明党を擁護する発言については、水島朝穂・早稲田大教授の『直言』・「公明党の「転進」を問う」(2014年7月21日)を参照。 →     http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0721.html )

​佐藤 優氏は次の木村草太・首都大学東京准教授*の文章を「私と同じ見解を示している」(『創価学会と平和主義』朝日新書p.31)と援用しています:

集団的自衛権という言葉は使っているものの、実際には個別的自衛権で説明できる武力行使に限定された内容になっているのです。

たとえば、在日米軍基地への攻撃に自衛隊が反撃する場合というのは、日本の領域への攻撃だから「個別的自衛権」の行使だとも、米軍への攻撃だから「集団的自衛権等の行使」だとも説明できます。国際法上は、どちらでも通るわけです。

<『潮』2014年9月号>

(*筆者註: 木村草太・首都大学東京准教授は、2016年現在は安保法制批判の「旗手」的存在ですが、2014年の7・1閣議決定当時は閣議決定を容認する立場でした。)

 

​木村氏のこの見解に対して水島朝穂早稲田大教授は次のように批判しています:

・・・在日米軍基地への攻撃に対する自衛隊の反撃について。

米軍への攻撃だから集団的自衛権行使とも説明できるという木村氏の主張だが、従来の政府解釈は、「我が国に対する攻撃なしに在日米軍基地への攻撃はあり得えない」としてきており、米軍基地への攻撃でも、それに対する反撃は個別的自衛権の行使なのである。

水島朝穂「直言」【集団的自衛権行使容認 閣議決定の波紋】合憲ライン 踏み越えた

水島氏が言及している通り、従来の政府解釈、例えば昭和43年に佐藤栄作(当時)首相は、在日米軍基地への攻撃は「日本本土に対する攻撃をされたように考えるべき」、すなわち個別的自衛権の行使の要件と考えるべきだとしています:

「私は、アメリカの基地といっても、日本の領海、領土、領空を侵害しないでそういう攻撃はないと思っている。その場合には、私は自衛の権利がある、これは日本本土に対する攻撃をされたように考えるべきではないかと考える」

(佐藤栄作首相発言・第 59 回国会参議院予算委員会会議録・第2号 昭和43年8月10日 p.4.)

 

 

4. 集団的自衛権の行使を容認した2014年7・1閣議決定

安倍政権は、2014年7月1日におこなった閣議決定(7・1閣議決定)によって、それまでの日本政府が「できない」としてきた集団的自衛権の行使を「できる」ことに改変しました。

まず、従来の(7・1閣議決定以前の)日本政府の見解を見ておきましょう。

憲法は、・・・自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

 

・・・自衛のための措置…は、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。・・・

​そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

内閣法制局「集団的自衛権と憲法との関係について」 

        1972年(昭和47年)10月14日参議院決算委員会提出資料

       ―――――――――――

集団的自衛権と申しますのは、・・・ 我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、・・・ 自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。

秋山内閣法制局長官・第159回国会予算委員会・第2号・平成16年(2004年)1月26日

 

​つまり、憲法の下で武力を行使することが許されるのは、「あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」が起こった場合、すなわち外国からの武力攻撃が発生した場合に限られる ということです。 相手から先に攻撃を受けてから反撃することは憲法の下で許される、国際法上の「個別的自衛権」の行使は 憲法の下で許される、というのが従来の日本政府の見解でした。

ただし集団的自衛権の行使は、外国からの武力攻撃が発生した場合という 憲法上認められる「自衛権行使の第一要件」(秋山内閣法制局長官・上掲)を満たしていないので「憲法上許されない」とされてきたのです。

従来、「自衛のための必要最小限度の実力の行使」にいう「自衛のための」は、「我が国に対する武力攻撃の発生」を前提としていた。 外形的事実である。 「我が国に対する武力攻撃の発生」という客観的な要件を課していたので、武力行使の濫用の危険性が最小限に抑えられており、「他国に対する武力攻撃の発生」であればいかに自国防衛の目的でも武力行使はできなかったのである。

水島朝穂・「直言」「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ 2014年8月4日

安倍政権が7・1閣議決定でやったことは、この「外国からの武力攻撃が発生した場合」という 憲法上認められる「自衛権行使の第一要件」による限定、歯止めをはずしてしまうことでした。それによって(部分的であれ)集団的自衛権の行使が可能になったのです。

従来の政府解釈では、「我が国に対する武力攻撃の発生」という外形的事実を歯止めとする個別的自衛権だけが認められていたが、「7・1閣議決定」は、その個別的自衛権に軸足を置いた「合憲」ラインを踏み越えてしまったのである。

水島朝穂・「直言」【集団的自衛権行使容認 閣議決定の波紋】合憲ライン 踏み越えた

ここで 7・1閣議決定の 集団的自衛権の行使を認めた部分を見ておきましょう:

我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」平成26年7月1日 国家安全保障会議決定・閣議決定

http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/anpohosei.pdf

 

​この文は、「Aの場合のみならず、Bの場合・・・実力を行使することは・・・許容される・・・」という構文になっています。

「Aの場合のみならず、Bの場合」と言えるためには、AとBは異なっていなければなりません。AとBが同じだったら「Aの場合のみならず、Bの場合」とは言えません。「BはAではない」という前提があってはじめて「Aの場合のみならず、Bの場合」と言えます。

上の文では、「Aの場合」は「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」です。

ですから「Bの場合」は「我が国に対する武力攻撃が発生していない場合」でなければなりません。

「Bの場合」、即ち「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」は、「我が国に対する武力攻撃が発生していない場合」でなければなりません。

「我が国に対する武力攻撃が発生していない場合」に武力を行使することは、既に見たように、相手に先に攻撃をしかけることになります。

「Bの場合」は、「他国に対する武力攻撃が発生」したことをきっかけに相手に先に攻撃をしかけること、すなわち集団的自衛権を行使することになります。

このことは内閣法制局長官も認めています。

今般の閣議決定は、憲法第九条のもとでも例外的に自衛のための武力の行使が許される場合があるという昭和四十七年の政府見解の ・・・ 我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしてきたこれまでの認識を改め、 ・・・ 結論の一部が変わるものでございます・・・

 

・・・今般の閣議決定は、国際法上、集団的自衛権の行使が認められる場合の ・・・ 一部限定された場合において、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使を認めるにとどまるものでございます。このような、・・・武力の行使は、閣議決定にございますとおり、「国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。」ということでございます。

横畠内閣法制局長官・第186回国会・予算委員会・第18号(平成26年7月14日(月曜日))

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001818620140714018.htm

​従来、日本政府は、集団的自衛権の行使を認める場合には憲法改正が必要だとしてきました。

「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思う」

(角田禮次郎内閣法制局長官・第98回国会衆議院予算委員会議録・第12号・昭和58年2月22日p.28)

こうした従来の日本政府の立場を無視して、安倍政権は、憲法改正の手続きをすっ飛ばして、閣議決定によって集団的自衛権の行使容認を強行したことになります。

(ここでは詳しく述べませんが)この点が、安倍政権が立憲主義をないがしろにしている と批判される理由の一つです。

5.集団的自衛権を行使すればどうなるか

​それでは、7・1閣議決定にのっとって集団的自衛権を行使して 相手を先に攻撃すればどうなるでしょうか?

元・内閣法制局長官の大森政輔氏は次のように危惧を表明しています。

わが国が集団的自衛権の行使として、密接な関係がある国を守るために、武力攻撃をしている第三国に我が国の攻撃の矛先を向けることになると、その第三国は、…今度は我が国に対して攻撃の矛先を向けてくることは必定で、…多国間の国際紛争に、我が国が巻き込まれる危険を覚悟しなければならない。

大森政輔・元内閣法制局長官『検証・安保法案』(有斐閣)46頁

​集団的自衛権を行使して先に攻撃をしかけた日本が、いくら「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」と思っていようが、「一部限定された場合の必要最小限の攻撃」のつもりであろうが、そのような日本政府の思惑、意図にかかわらず、相手国が直面するのは「攻撃していない日本から先に攻撃を受けた」という事実です。

その客観的事実に対して、相手国が武力を使って反撃してくることは、極めて当然の反応でしょう。 そうすれば日本は武力で応戦せざるをえなくなります。 それに対して相手国は再び反撃する… という具合に、報復の応酬がくり返されることになります。それは戦争に突入することに他なりません。

この場合、報復の応酬の引きがねを引いたのは、先に攻撃をしかけた日本です。

このように集団的自衛権を行使することは、報復の応酬の連鎖のひき金をひいてしまう、即ち、戦争をひき起こしてしまうことになるのです。

「戦争をひき起こしてしまうこと」を可能にしたからこそ、7・1閣議決定に基づく安保法は、一般的な意味で「戦争法」と呼ばれるのがふさわしいのです。

​​ 自民党・公明党がいつも集団的自衛権行使の例にあげるのは、日本の近くの公海上でアメリカの艦船が(例えば北朝鮮から)攻撃を受けた場合です。

日本を守るために警戒監視活動を、日本の…近海で行っているアメリカの艦船が攻撃を受けた場合。もちろんそのアメリカの艦船の後方には…自衛隊もいるわけですけれども、今までは…アメリカの艦船が攻撃されても、自衛隊は動くことはできませんでした。 なぜなら、日本そのものが武力攻撃を受けないと出撃できないという解釈になっていたからです。

今後は、その米艦がやられたあとには、こちらのほうにね、大きな被害が来るということが予測される場合には、その時点で自衛隊が動けると。 ――― 自衛隊がほかの国の部隊に対する攻撃を「きっかけ」に…武力の行使をしてもいいですよということを言ったんです。

(安保法制-公明党・遠山清彦議員に聞く 集団的自衛権の行使の条件とは?2015.05.26 THE PAGE ネットワークに掲載http://thepage.jp/detail/20150525-00000002-wordleafv )

 

​これについて当然、識者は危惧を表明しています。

北朝鮮から攻撃を受けた米国を「助けるため」、自衛隊が集団的自衛権の行使して北朝鮮を攻撃すれば、北朝鮮から見れば攻撃していない日本から「先に攻撃を受けた」ことになりますから、日本は国土を含め、北朝鮮の報復攻撃を受けることを覚悟しなければなりません。

水島朝穂・早稲田大学教授・『ライブ講義・徹底分析!集団的自衛権』(岩波)93~94頁

 ―――――――――――

たとえば、中国や北朝鮮の艦船が米艦を攻撃して日本が米艦を助けるためにそれらの諸国の艦船を攻撃するとすれば、日本とそれらの諸国の関係においては、日本自体は攻撃されていないのに、それらの国に対して先に攻撃することになるわけである。

 この場合、反撃を受けて日本の本土がそれらの国から直接、攻撃される危険性を覚悟しておかなければならないだろう。それは、もちろん事実上の戦争となる危険性を意味している。

小林正弥・千葉大学教授「自衛権か、他衛権・先制攻撃権か?」

http://webronza.asahi.com/politics/articles/2014061300013.html

 

​では、安倍政権が念頭においている 集団的自衛権を行使する相手国の一つである北朝鮮の反応を見ておきましょう。

…日本の執権勢力はいわゆる「安保環境の厳酷さ」と「国民の生命および財産の保護」などを唱えて「集団的自衛権」の行使をなんとしても容認しようと画策している。…「集団的自衛権」の行使に関連する日本政府の文書には、朝鮮半島「有事の際」などの内容も含まれている。特に「自衛隊」を出動させ、我が共和国で何らかの「救出作戦」を展開するという案もあがっているという。 米国が挑発する第2の朝鮮戦争に「自衛隊」武力を先遣隊、突撃隊に送り込むということである。……そのような試みは列島に火の夕立をもたらす自殺的妄動だ。既に、「専守防衛」から先制攻撃に軍事戦略を転換した日本においては、「集団的自衛権」の行使は、必ずや日本の朝鮮半島再侵略となる。

        『労働新聞』2014年5月23日

 ―――――――――――

 北朝鮮の朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」(電子版)は2013年3月31日の紙面で、「米帝侵略軍の前哨基地である横須賀、三沢、沖縄、グアムはもちろん、米本土もわれわれの射撃圏内にある」と指摘し、在日米軍基地も北朝鮮軍の攻撃対象だと警告した。また、「日本から飛来するどんな航空機や巡航ミサイルも迎撃できる」とも主張した。

<J-CASTニュース 2013年4月1日 http://www.j-cast.com/2013/04/01171977.html >

―――――――――――

日本チョッパリらは、土地も狭いのに、原子力発電所が…51個あります。今、我々が、ロケット一発で日本の原子力発電所一つを打壊した時、2次大戦の時、広島に落ち20万も殺した原子爆弾の破裂の320倍の破裂が出ます。 原子炉一つが壊れた時。 狭い日本の地に50個の原子炉を我々が打壊した、と想像してみて下さい。…どんな現象が起きるだろうかを。 万一、日本チョッパリらが補償もせず、あのように悪く居直り続けたら、我々は地球上から日本という国を跡もなく消せます。

< 張ヨンスン(朝鮮労働党中央党副部長)「日本の原発51基をミサイル攻撃すれば」2006年核実験に対する朝鮮労働党内部講演録音(日本関連部分)『統一日報』2009年06月12日登録記事http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=48933&thread=03r01 >

 

​上の発言を見る限り、北朝鮮が日本の原発への攻撃を念頭においていることは確実なようです。

 

​ちなみに、藤岡惇・立命館大学教授は、原発に対する軍事攻撃の可能性について次のように述べています。

 

​原子炉には2つの「アキレス腱」があることを福一(福島第一原発)の核惨事が明白にした。

第一の「アキレス腱」とは、原子炉の冷却水を循環させてきた「外部電源装置」であり、ここが破壊され、全電源が断たれると、数時間後には核燃料の溶解が始まり、炉心溶融にいたることが明らかになった。

いま一つの「アキレス腱」は、原子炉格納容器の外側に置かれている各原子炉付属の6つの使用済み核燃料プールと1つの共用プールだ。

原子炉の本体は、圧力容器と格納容器という強固なコンクリート壁で2重に守られているので、自然災害であれ、軍事攻撃であれ、相当に強い力が働かないかぎり原子炉本体を破壊するのは容易ではないだろう。

しかし外部電源装置も7つの核燃料プールも、ともに圧力容器・格納容器の外側にあるため、軍事攻撃は難しくない。

藤岡惇「軍事攻撃されると原発はどうなるか」

http://peacephilosophy.blogspot.jp/2012/12/japanese-nuclear-reactors-as-possible.html

​日本が集団的自衛権を行使することによって もたらされる結果の一つとして、日本各地に存在する原発の使用済み核燃料プールへの軍事攻撃を想定する必要があるようです。

「地雷型核爆弾」とも呼ばれる ‘究極の自虐兵器’・原発を54基もかかえる日本が、集団的自衛権を行使して 先に相手に攻撃をしかければ、福島原発事故をはるかに上回る悪夢のような現実が待ちうけているかもしれないのです。

6.安倍政権によって「戦争国家」(遠山清彦議員)に変質した日本

公明党の遠山清彦議員は、創価学会員向けの講演で次のように言っています:

日本共産党…の機関紙を見ると「今回の政府の法案は、事実上、集団的自衛権を認めるから戦争法案だ」といっています。

私は共産党の皆さんに敢えて聞きたい。世界194カ国のうち、集団的自衛権を使えないのは日本を含めて4カ国。じゃあ、あなた方の考え方だと、世界190カ国は集団的自衛権を使えるから全部「戦争国家」なんですか?と。

YOUTUBE「安全保障関連法案 公明党 遠山清彦」

https://www.youtube.com/watch?v=f5ThDu0Ic5Y(33:50頃から)

​まさに その通り。

集団的自衛権を使える世界の約190カ国は、「相手より先に攻撃をしかけることができる国家」「戦争の引きがねを引くことができる国家」という意味では「戦争国家」なのです。

190カ国のほとんどは、「現在たまたま戦争をしていないだけの戦争国家」だと言えるのです。

日本は、2014年の7・1閣議決定の前までは「相手から攻められたら反撃はできるが、相手より先に攻撃をしかけることはできない」国家でした。

ところが7・1閣議決定の後は、「反撃だけでなく、先に攻撃をしかけることができる」戦争国家に変質してしまったのです。

(以上)

1. はじめに(ざっくり まとめると・・・)
2. 集団的自衛権とは?
*筆者註: 「先制攻撃」ということばについて
3. 集団的自衛権と個別的自衛権が重なる範囲はない
4. 集団的自衛権の行使を容認した2014年7・1閣議決定
5.集団的自衛権を行使すればどうなるか
6.安倍政権によって「戦争国家」に変質した日本
bottom of page